何かを伝えたいとき、主張したいとき、つい大げさな言葉づかいをしてしまうことがあります。
例えば...
いつも○○なんだから。
絶対に○○じゃない。
決して○○しない。
何も○○なんだね。
このような断定的なものの言い方です。
でも、実際には言っている内容が100%真実という訳ではありません。
現実は....
<<移転しました>>
いつも○○なんだから。→ そうじゃない時もたまにはある
絶対に○○じゃない。→ 100%絶対ではない
決して○○しない。→ もしかしたらすることもある
何も○○なんだね。→ 100%ではなく少しはあれなことも
ものごとには常に「ゆらぎ」の部分があります。
「白」か「黒」かとか、「Yes」か「No」かなどと、はっきりくっきりな境界線がある訳ではないのですよね。
だから「絶対!」などと断定的な言葉を使い続けていると、ゆらぎの部分がなくなってゆき、情緒が失われたような気分を味わうことになります。
それなのに、なぜ私たちは時々、このような断定的なものの言い方をしてしまうことがあるのでしょうか!?
なぜ、大げさな言葉づかいをしてしまうのか
人が大げさな修飾語をつかっているとき、その言葉は『エゴ』から発せられています。
“私を認めて欲しい” という、無意識から発生している思いなので
「君は、 いつも人の話を聞いてないね」
「絶対にうまくいかないに決まってる」
「決してそれは選ばれないよ」
このような言葉を使っているとき、その人の深層心理には「自分を
大げさな口癖を使い続けていると、こうなる
いつも○○だ。絶対に○○じゃない。決して○○しない。
このような断定的な言い方が口癖になってしまうと、断定的な人生になります。言い方を変えると「変わる(変える)ことができない」状態が続いてしまうということです。
分厚いレンガの壁に周りを囲われているかのような、閉塞感がつきまとう日々を過ごすことになりかねません。
いつも「何かから逃れたい」という思いがあるかもしれません。
もし、誰かから断定的な言葉を言われてしまったら?
他人から「あなたは絶対こうよ!」「決してこんな風にならないわ!」などと、断定的なことを言われてしまったら、どうしたらよいのでしょうか!?
もしもそんなことを言われたら、絶対に受け取らないようにしましょう。
間違っても「そうなんだね〜」と思ってしまわないことが得策です。
もちろん、人間関係を壊さないためにも「そうなんだね〜」と、表面的に言葉で応答するだけなら大丈夫でしょうが、頭の中では全否定したほうがいいですね(笑。
毎日のように断定的な言葉を言われ続けていたら、やがてどこかに閉じ込められているような息が詰まる感覚をおぼえるようになってしまうかもしれません。
【頭の中に相手の言葉を受け入れないようにする方法】
①脳にカバーをかけるイメージをする
②相手の断定語をを言い換えて頭の中で3回言う
(例:絶対に→AかもしれないしBかもしれないね)
家族内で、親から子供に対して断定的な言葉を投げかけてしまうこともあります。昭和の教育方針(!? )がそうだったのか昔風の親が子供に対して言ってました。
いわゆる「ダメ出し教育」ですね。子供のダメな部分を断定して言うのです。「あんたはだらしない、だから絶対将来はこうなるわよ」とか。
こ、これはやめたほうがいいですね。
「そうなって欲しい状態」をお子様に対して言ってあげた方が、後からいいこといっぱいありますからね。
もし自分が断定的な言葉をつかっているなら
あなた自身も、断定的な言葉をたまに言ってしまったりすることはありますか!?
わたしはあります。夫婦のくだらない言い争いのときとかです(笑。
大げさで断定的な言い方をしてしまうのは、「自分を認めてもらいたい」という深層の欲求からきています。
もし、「あ、ジブン言ってるな」と気づいたら、「自分はどんなことを認めてもらいたいと思っているのか?」と、隠された欲求について考えてみてはいかがでしょうか。
自分の『心』に聞いてみましょう。
心に聞いてみて、何もわからなかったとしても大丈夫です。言葉づかいを気にして変えていくだけでもものごとが良い方へ動いていきます。
断定的な言葉を頻繁につかっていると、自分の世界観から “ゆらぎ” が消えてしまい、見えない壁に囲われているような、理由のない閉塞感を感じてしまうようになります。
実際の世界では、何もかもが白黒はっきり分かれているわけではないのです。
断定的な言葉づかいをしてきたから、そういう世界観が自分の中に出来上がって、勝手に息苦しくなっていただけなんです。
だから、やめればいいだけなんですよね。
「ゆらぎ」を感じながら過ごすと、毎日が楽だし、気持ちいい心でいられます。
「ゆらぎ」のある人生はゆったりしています。
自然に自分がいきたい方向へ歩んでいってる感じがします。