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鎌倉ものがたり小旅行、鎌倉を愛した文豪たち

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「週末はうちの店舗も行列ができるんですよ」と、鎌倉駅前の不動産屋さんが先日おっしゃっていました。鎌倉への移住を考えている方が観光がてら立ち寄るのだとか。

映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』(堺雅人高畑充希)や、ドラマ『最後から二番目の恋』(中井貴一小泉今日子)の人気で、鎌倉へ足を運ぶ人がますます増えているそうです。

鎌倉のことを放映すると視聴率が上がるとのことで、テレビの旅番組や食レポなどで、頻繁に取り上げられていますので、その影響も手伝っているのでしょう。

鎌倉グルメやロケ地めぐりも楽しみの1つです。神社仏閣や切り通しなど、歴史的な名称を巡るグループもよく見かけます。

鎌倉は、多くの文豪が愛した街として知られているのですが、『文豪ゆかりの地を巡る小旅行』も、なかなか楽しいものです。

もう何度も鎌倉に足を運んでいる方は、“文豪ゆかりの地めぐり” に挑戦してみてはいかがでしょうか!?

鎌倉と関係の深い文豪たちの人数が多いので、この記事では14名ほどの文豪をピックアップして、ゆかりの地をご紹介していきます。

 

 

 

 

 

鎌倉の文豪たちと、ゆかりの場所

 

 


*注* 「  」は、地名や寺などの観光ポイントになります。

 

 

川端康成(かわばたやすなり)>

 

《小説家・文芸評論家》
明治32年~昭和47年(1899~1972)

日本人初、ノーベル文学賞を受賞。代表作は、『伊豆の踊子』『雪国』『眠れる美女』『古都』、鎌倉で書かれた『千羽鶴』『山の音』など。

小説家・劇作家である三島由紀夫は、昭和21年以来たびたび鎌倉の川端家を訪問しており、川端康成とは終生にわたる親交を結んでいた。

《鎌倉ゆかりの地》
昭和10年「浄明寺」に移り住む。その後「二階堂」へ転居。昭和21年から亡くなる昭和47年まで「長谷」に居住。

①【財団法人川端康成記念会】
江ノ電長谷駅」下車。駅を出て右(北)へ歩くと長谷観音の交差点がある。右に曲がり2本目の路地を左に曲がった先にあります。

黄色っぽい塀と看板が目印、川端の表札もあり。「甘縄神名神社」のすぐそば。川端康成の邸宅だった場所で、外から眺めるのみになります。

②【イワタコーヒー】
鎌倉駅の東口(表駅)をでて小町通りに入ってすぐのところ(右側)に今でもある「イワタコーヒー」(昭和23年創業)に、よく通っていたそうです。

分厚いパンケーキが人気で雑誌にもときどき載っています。古い店ですが中庭が素敵です。

 

中原中也(なかはらちゅうや)

 

詩人》
明治40年昭和12年(1907~1937)

詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』。
開業医の長男として後を継ぐため勉学に励み神童と呼ばれたが、8歳のときの弟の死がきっかけで文学に目覚め、初めて詩作。中学時代に友人との共著で歌集「末黒野」を刊行。30歳の若さで死去。生涯で350篇以上の詩を残した。

《鎌倉ゆかりの地》
長男死去による失意の中、友人が多い鎌倉への転移を決意。昭和12年2月に「扇ガ谷(おぎがやつ)」に所在する「寿福寺」の境内にある小さな家に移り住む。同じ年の10月に鎌倉養生院で亡くなり、寿福寺で告別式が行われた。

①【寿福寺
住所:鎌倉市扇ガ谷1-17-7
JR鎌倉駅西口(裏駅)から徒歩10分

是非みていただきたい、とても美しい参道があります。コケに包まれたグリーンの石畳が、寺門までまっすぐ続いており、美しい写真も撮れます!寺の中は見学できませんが、中門から覗くことができます。

1180年(正治2)北条政子が頼朝の父である義朝の旧邸跡に創建したお寺。北条政子の墓は、寿福寺の裏手にある墓の奥の方にあります。自由に入れるのでお参りできます。

このあたりでは『やぐら』と呼ばれる山の岩肌をくりぬいた不思議な穴を見ることができます。これは、中世時代の墳墓で、遺骨や供養塔などを安置した場所です。近代になって、薪の置き場として使われていました。


墓のあたりは低い山に囲まれており、そこに居ると小鳥のさえずりがステレオ音のように響きます。小鳥たちのオーケストラが聴ける、私のお気に入りの場所です。

 

山口瞳(やまぐちひとみ)

 

《小説家
大正15年~平成7年(1926~1995)

出版社にて編集者、寿屋(現サントリー)にてコピーライティングや編集の職を経て、和38年「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞。翌年から作家生活に入る。『マジメ人間』『小説吉野秀雄先生』『人殺し』『血族』『居酒屋兆治』『家族』などを生み出す。


《鎌倉ゆかりの地》
戦後の鎌倉アカデミア文学科の第一期生(のちに妻になる女性とアカデミアで出会った)。昭和20年から23年まで「長谷」の川端康成邸の隣に住んでいた。


①【長谷寺HP
長谷駅を出て北へ歩いて行くと、長谷観音の交差点があり、そこを入って行くと入り口になっている。

池や和庭園が美しい。階段を上ると参拝する場所があり、その先には見晴台があって、由比ヶ浜海岸を見渡すことができる。6月は紫陽花の群生が見どころ。

 

与謝野晶子(よさのあきこ)

 

歌人・詩人
明治11年昭和17年(1878~1942)


代表作 『みだれ髪』『君死にたまふことなかれ』
残した歌は5万首にも及ぶ。『源氏物語』の現代語訳『新新源氏』、詩作、評論活動とエネルギッシュな人生を送り、女性解放思想家としても多大な足跡を残した。 不倫の末に結婚し12人の子供を出産。

《鎌倉ゆかりの地》
 昭和3年頃から11年にかけて、「稲村ガ崎」の有島生馬邸や知人の別荘、「海浜ホテル」に滞在するなど、たびたび鎌倉を来遊した。


①【稲村ガ崎海浜公園】
住所:鎌倉市稲村ガ崎1丁目

江ノ島電鉄「稲村ガ崎」駅から海へ向かって徒歩10分ほどのところにあります。由比ヶ浜と七里ガ浜の間にある岬で、この公園からは海が一望でき、江ノ島、遠くに富士山も見えます。

この公園で『最後から二番目の恋』のロケをやっていて、中井貴一さんをお見かけしたことがあります。ここからの素晴らしい夕日は、感動的で忘れられない思い出になります。デートにも、オススメです。

 

古屋信子(よしやのぶこ)

 

《小説家》
明治29年~昭和48年(1896~1973)

大正8年の作品「地の果まで」が新聞募集で一等当選。「海の極みまで」で文壇に認められた。『花物語』『良人の貞操』などの大衆小説で人気作家となる。戦後は長短編や伝記ものにも分野を広げ、その後、歴史小説へと新境地を開き、『徳川の夫人たち』『女人平家』などを刊行。

《鎌倉ゆかりの地》
昭和19年から「長谷」の別荘に疎開し、25年に東京に戻る。再び37年から死去された48年まで「長谷」に住まう。「高徳院」の墓に眠る。

①【吉屋信子記念館】
住所:鎌倉市長谷1-3-6 (問い合わせ0467-25-2030)
江ノ島電鉄線 由比ヶ浜駅下車 徒歩7分京浜急行バス江ノ電バス「長谷東町」下車 徒歩2分 

国の登録有形文化財に登録されています。吉屋信子さんの遺志により土地・建物などが鎌倉市に寄贈されたもの。ありし日のままに保存されており、中には古屋信子に関する資料その他が展示されている。

赤壁築地塀に囲まれたお屋敷で、門前には石標が立っていてそれが目印になる。平屋の日本家屋には広々とした庭があり、眺めているだけでくつろげます。
 
*【一般公開日】
4月,5月,6月,10月,11月の毎週土曜日
5月、6月の毎週日曜日、
5月、6月、10月、11月の1日~3日
ゴールデンウィーク期間は毎日

②【高徳院(大仏)】HP
住所:神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号

鎌倉といえば大仏。大仏さまでお馴染みの「高徳院」です。 長谷寺から海と逆方向(北)へ向かってまっすぐ歩いて徒歩15分ほど。「高徳院」には、吉田信子さんの墓がありますが、お参りできるかどうかは不明です。

 

小津安二郎(おずやすじろう)

 

《脚本家・映画監督》

明治36年~昭和38年(1903~1963)

「懺悔の刃」「東京物語」「彼岸花」、鎌倉を舞台にした「晩春」「麦秋」など。小津独特の映画手法 “ロー・アングル、ロー・ポジション" は、国際的にも高い評価を得ている。

《鎌倉ゆかりの地》
昭和27年から没年である昭和38年まで、北鎌倉の「山ノ内」に暮らす。「円覚寺」に母とともに眠る。 墓碑にはただ一字「無」と彫られている。

戦後の小津作品の中心を担った女優の原節子さんは、小津監督の死後、一切の公の場から姿を消した。2015年死去。原節子さんの住まいは「鎌倉山」に所在しており、鎌倉の山々を眼下に見渡せる邸宅。後にタレント・アナウンサーのみのもんた氏がそこを購入し夫婦で暮らした。

 

①【円覚寺HP
北条時宗が創建したお寺。JR北鎌倉の駅からすぐのところに寺門がある。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する、最も美しい建物として国宝に指定されています

中には高さ259.5cmもある、関東で最も大きい洪鐘があります。国宝に指定されています。

 

大佛次郎(おさらぎじろう)

 

《小説家》
明治30年~昭和48年(1897~1973)

代表作は、『鞍馬天狗』『パリ燃ゆ』『天皇の世紀』『照る日くもる日』『赤穂浪士』『霧笛』『帰郷』など。「長谷」の大仏さまの裏手に住んだことからこの筆名になった。エンターテインメントからノンフィクションまで幅広い分野で活躍した作家。

《鎌倉ゆかりの地》
大正10年に東大を卒業後「長谷」に住み始める。 関東大震災に見舞われ、一時的に「材木座」に住む。その後、昭和4年から没年である昭和48年まで「雪ノ下」に居住した。

鎌倉の自然を守る活動を行い自然保護運動を推進した。鎌倉風致保存会の設立。鎌倉の女学校で1年間教壇に立ち、長谷に暮らし鎌倉をこよなく愛した。「寿福寺」に眠る。(寿福寺に関しては中原中也のところをご覧ください)

①【大蔵幕府あと】参照
住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目11-45
JR「鎌倉駅」東口から徒歩約18分

大蔵幕府(大蔵御所)跡は、源頼朝が住み、鎌倉幕府最初の政治の中心地だったところ。この場所は現在「雪ノ下」という地名になっています。かつて源頼朝が夏の暑さをしのぐ為、鶴岡八幡宮の裏あたり(1丁目付近)に「雪屋を作って雪を貯蔵していた」という話にちなんでつけられたそうです。

現在の清泉小学校のあたりが大蔵幕府あとで、石碑の建っているあたりを中心に大蔵幕府が広がっていました。現在はタイル張りのおしゃれな散歩道になっており、桜並木もみられます。

少し歩いたところに「源頼朝の墓」があります。「よりとも児童公園」のところにある石段を登って行くと見つかります。

 

島木健作(しまきけんさく)

 

《小説家》
明治36年~昭和20年(1903~1945)


代表作は、『癩』『盲目』『獄』『再建』『生活の探求』『嵐のなか』など。

1945年敗戦の2日後、鎌倉の病院で肺結核のため、川端康成小林秀雄高見順ら、多くの文人仲間・友人たちや、母と妻に看取られながら世を去った。『土地』『赤蛙』『黒猫』などの作品が、遺作として発表された。


《鎌倉ゆかりの地》
昭和11年「文学界」同人となり鎌倉に移住。昭和12年「雪ノ下」に転入。14年から没年の20年まで「扇ガ谷」で暮らし、小林秀雄らと親しく往来した。告別式は鎌倉文士たちによって執り行われた。墓は北鎌倉にある「浄智寺」。

①【浄智寺
住所:鎌倉市山ノ内1402
アクセス: JR北鎌倉駅 徒歩10分

浄智寺の境内は、山と緑にかこまれた環境で、背後の谷戸に深く続いており、静かなたたづまいの禅寺です。このような地理的環境とともに、現在は国の史跡として保護されています。

徒歩圏内に「東慶寺」「円覚寺」「建長寺」があります。また浄智寺の裏山は、「葛原岡・大仏ハイキングコース」の起点になっています。

 

深田久弥(ふかだきゅうや)

 

《小説家・山岳紀行家》
明治36年~昭和46年(1903~1971)

戦前の著作に『津軽の野づら』『鎌倉夫人』『贋修道院』『親友』、随筆紀行集『山岳展望』『山頂山麓』などがある。

戦後はヒマラヤ研究や山岳紀行で活躍し、小説から遠ざかった。『日本百名山』『ヒマラヤの高峰』は名著とされている。

《鎌倉ゆかりの地》
昭和7年から21年まで「二階堂」で暮らしていた。 

①【二階堂の周辺にある寺など】
「二階堂」は、鶴岡八幡宮の北東あたりのエリアです。

1「大塔宮」HP

鎌倉駅東口を出て右側へ歩いて行くと交番があります。交番の前のバス停から「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスに乗車して、終点「大塔宮」で下車。少し戻ると入り口があります。昔の天皇が祀られている神社。


2「覚園寺HP
住所:鎌倉市二階堂421
「大塔宮」から徒歩約10分。バス停からさらに前へ進むように細道を奥へ奥へと進みます。

世界遺産に認定されそうになったことから、境内全域、そして仏像や神像が並ぶ寺の中は、お坊さんが案内する決まりになっています。一般の人が勝手に入場して勝手に見学することができません。見学するには30分〜1時間ほどかかります。
【見学できる時間】
10:00, 11:00, 13:00, 14:00, 15:00 (土日のみ12:00~がある)

3「瑞泉寺HP
住所:鎌倉市二階堂710
覚園寺から1.65km。バスがないので歩きです。途中左手に「永福寺」跡があります(建物がない状態)。

石階段を登っていくと瑞泉寺と季節の花が咲く和庭園があります。広大な山の地形に沿って瑞泉寺の境内があります。自然が豊かで鳥の声だけが響く静寂な場所です。これら境内の全域は国の史跡に指定されています。

以上のポイントを見学する別のまわり方もあります。足腰の弱い方は、最初、鎌倉駅東口からタクシーで瑞泉寺へ向かうことをおすすめします。そのあと、徒歩で覚園寺へ、最後に大塔宮へ。終わったらバスで鎌倉駅へ。

まだ体力が余っていたら、”浄妙寺” バス停で途中下車して、竹のお寺「報国寺」や「浄妙寺」にも立ち寄ってください。

 

林房雄(はやしふさお)

 

《小説家、文芸評論家》
明治36年~昭和50年(1903~1975)

大正15年「林檎」を発表し、プロレタリア作家として出発。昭和11年にはプロレタリア作家廃業宣言。鎌倉にて代表作『青年』を執筆。鎌倉を舞台にした小説に『息子の青春』『妻の青春』がある。

 

《鎌倉ゆかりの地》
昭和7年「大町」に移住。(一時的に伊豆に住まう)昭和11年から没年である昭和50年まで「浄明寺」で暮らした。墓は「報国寺」。

①【浄妙寺
住所:鎌倉市浄明寺3-8-31  電話: 0467-22-2818
鎌倉駅の東口を出て⑤番のバス停から、どのバスでもOKです。駅から15分ほど、浄明寺で下車。

桜や梅の他に、様々な季節の花が咲き目を楽しませてくれるお寺です。禅の庭を眺めながら抹茶とお菓子をいただける茶屋が境内にあります。

【石窯ガーデンテラス】HP
浄妙寺の境内の中にあります。大正時代に建てられた洋館を改造してレストランになっています。

スコットランド人のガーデナーが設計した素晴らしいイングリッシュガーデンがあり、小径をぐるりと歩きながら草花を堪能することができます。レストランからもお庭を眺められるので雨の日でも楽しめます。


②【報国寺(竹のお寺)】HP
住所:鎌倉市浄明寺2-7-4
(アクセスは上記の浄妙寺と同じです。道路挟んで反対側にあります)

ミシュラン・グリーンガイドで星が3つ⭐︎⭐︎⭐︎の評価がついているお寺です。約2千本の竹林が別世界のような空間をつくっています。

人気があるお寺なので、土日は外まで長い列ができます。平日の朝9時のオープン時がおすすめです。

大きなやぐら、和庭園、清流の小川、見所がたくさん。抹茶をいただける茶所があります。利用したい場合は入場券を買うときに一緒に抹茶チケットを購入します。


夏目漱石(なつめそうせき)

 

《小説家・英文学者》
慶応3年~大正5年(1867~1916)

代表作は、『吾輩は猫である』『草枕』『坊っちやん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『道草』『明暗』ほか。北鎌倉の「円覚寺塔頭の帰源院に参禅した経験は『門』の題材となった。

《鎌倉ゆかりの地》
30年夏に1カ月ほど「材木座」に滞在し、44年間の友人である中村是公の「長谷」の別荘にも訪れた。

①【材木座HP
鎌倉駅前の ロータリーにある、「鎌40」逗子行きのバスに乗車。約10分。「材木座」及び「光明寺」バス停下車。車の場合は周囲にいくつかの駐車場があります。

ウィンドサーフィンをする人が多く集まる海岸です。夏には海の家が並びますが、その他の季節は静かなビーチ。

 

島崎藤村(しまざきとうそん)


詩人・小説家》
明治5年~昭和18年(1872~1943)

自然主義文学の代表作家。『春』『桜の実の熟する時』に鎌倉で過ごした体験が描かれている。脳溢血のため大磯の自宅で没した。最期の言葉は「涼しい風だね」。

《鎌倉ゆかりの地》

 明治25~26年に「扇ガ谷」「雪ノ下」を訪れる。北鎌倉の「円覚寺塔頭帰源院にも滞在した。

①【化粧坂切通し】
鎌倉駅西口(裏駅)から市役所方面に歩き、紀伊国屋のところを右折。そのまま「扇ガ谷」方面へ真っすぐ歩いて行く。20分ちょっとで化粧板の切り通しの入り口あたりに到着します。

「化粧板切り通し」は国の史跡となっている歴史的な場所。鎌倉後期には人々の往来で賑わっていたと言われている。現在は、急な岩場の坂道のハイキングコースになっています。ハイヒールでは歩けません。トレッキングシューズか、底がギザギザの運動靴が必要です。

 

澁澤龍彦(しぶさわたつひこ)

 

《小説家・仏文学者・評論家》
昭和3年~昭和62年(1928~1987)

数々のフランス文学の翻訳を紹介した後、56年に小説『唐草物語』で泉鏡花賞を受賞。『ねむり姫』『うつろ舟』『高丘親王航海記』など。三島由紀夫とは長く深い親交があった。

《鎌倉ゆかりの地》

昭和21年から「小町」に居住。41年から没年である昭和62年まで北鎌倉の「山ノ内」にある明月谷戸で暮らしていた。同じく北鎌倉の「浄智寺」に墓がある。

①【小町通り
鎌倉を訪れる人は必ずと言ってもいいほど、小町通りでお土産を買ったりご飯を食べたりします。豆やせんべい、鎌倉クッキーのほか、最近ではチョコレート専門店や猫カフェなど、いろいろな店が並んでいる楽しい通り。

 

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)

 

《小説家》
明治25年昭和2年(1892~1927)

代表作は『羅生門』『河童』『歯車』『或阿呆の一生』『侏儒の言葉』など。作品は、短編小説が多く知られている。英文科を出た芥川は、その文章構成の仕方も英文学的であると言われている。翻訳文学的でもある論理的に整理された簡潔・平明な筆致に特徴がある。 

《鎌倉ゆかりの地》
教師時代(大正5〜6年)に海浜ホテル近くの「由比ガ浜」に下宿していた。大正7年から1年間「元八幡」の近くで新婚生活を送った。この地で『地獄変』『蜘蛛の糸』『奉教人の死』など、歴史・仏教に題材を得た傑作を書いた。

①【由比ヶ浜
休日は、江ノ電由比ヶ浜駅で下車し、由比ヶ浜通り沿いを歩いて、長谷寺へと向かう人々で賑わっています。「由比ヶ浜海岸」へは途中で道を左に曲がり南へ歩いていきます。

鎌倉文学館
住所:鎌倉市長谷1-5-3   電話:0467-23-3911
侯爵家の別邸だった洋館。館内では、夏目漱石川端康成芥川龍之介らの直筆原稿や愛用品などが展示されている。

庭がバラ園になっていて、5月末〜6月はバラの見頃。


【鎌倉 松原庵】
おしゃれな蕎麦屋。古民家を和モダンな雰囲気に改造した粋な建物と庭がある、素敵な雰囲気のお店です。洋のエッセンスを取り入れた多彩な創作料理とソバが味わえるコースがおすすめ!デザートの「くるみしるこ」美味しいです。



www.mind-circle.com

 

あなたの鎌倉ものがたり


それにしても....
作家というものは、胃潰瘍、神経衰弱、幼少期の不憫な境遇、不倫、奇病、早死、などなどが付き物なのでしょうか。半生について調べていると、「たいへんな職業なのだなぁ...」という感想をもちます。それとも、元々そのような環境の人が才能の花を咲かせやすいのでしょうか。

そんな文豪たちが自然おおき鎌倉の地で自分らしく生き、作品を生み出し、暮らしていたのです。


ご紹介した文豪たち以外にも、まだまだ沢山の文学者が存在します。鎌倉文学館ページでご覧いただけます。

なにはともあれ、この次に小旅行で鎌倉を訪れる際には、鎌倉を愛した文豪たちゆかりの地を訪ねながら散策してみてはいかがでしょうか!?

新たな鎌倉の魅力に出会えるかもしれません。