私が尊敬してやまない75歳のN子さんは、ある日ある行動に出ることを決意しました。
それは、夫の死に水を自分が取るのか?それとも愛人が取るのか?を聞いてみるという試みです。
N子さんはもう15年もの間、大きな邸宅にお手伝いさんと二人で暮らしています。同じく70代のご主人様は50代の愛人の家に入り浸ったのちに一緒に暮らしていたからです。
<<移転しました>>
N子さんは自分にとっての責任の分担がどのくらいあるのか?を明らかにしておきたかったのです。
ご主人様が金の羽振りがよく元気なうちは、愛人宅においてもらえるだろうけれど、病気になって介護が必要になったら追い出されるかもしれない可能性もあります。
でももちろん、愛人が「死に水を取ってくれる」ということならば、全面的にお任せするつもりでいました。
その時になって、こちらへ丸投げされるのかどうか?それとも、もう主人のことはいないものとしてこれから生きていっていいのか?知っておきたいというお気持ち。
N子さんのこの先の人生設計に関わってくることなのです。
モヤモヤしたままでは、N子さんだって思いっきり楽しい日々を過ごすことができないです。息子さんに頼んで、愛人さんに直に聞きにいってもらいました。
愛人さんに「父の死に水を取っていただけるのでしょうか?」と質問したところ、「いいえ」と、即答だったそうです。
愛人さんは、なんの保証もない代わりに、美味しいとこどりするのが醍醐味なところがあるでしょうか。
現役で仕事をしている今なら、金回りもいいし元気だし、愛人さんも生活のサポートをしてもらえます。それができないなら用無しのジジーなのです。
当たり前ですよね。
でも、そのことに早々に気づいてあげた本妻のN子さん、度量の大きな女性だなーと改めて尊敬してしまいました。
愛人さんの方も、その質問をされて「死に水を取る覚悟のない相手と一緒にいても意味がない」と悟ったようです。「すぐに出て行ってもらいます」と息子さんに言ったそうです。
愛人宅を追い出された夫は、自宅に戻り普通に暮らしています。N子さんのような女性が奥さんで良かったと心から思って欲しいです。
その後、二人で旅行に出かけたりと、それなりに仲良く生活しています。
死ぬまで看取る責任を持てるかどうか
【死に水を取る】 :(辞書より)
① 臨終にある人の口に水を注ぐ。死に際の人の唇を水でしめしてやる。
② 末期まつごの介抱をする。死ぬまでみとる。 例「父の死に水を取る」
現在では、昔の言い伝え(死人を生き返らせる)から転じて、「臨終まで介抱すること」の意味として使われている言葉です。
「この人の死に水を取るかどうか」
この言葉を自分の『心』に問いかけてみませんか?
*不倫関係が長く続いている方
*この先離婚するかどうか?迷っている方
*この人と結婚していいのかどうか迷っている方
*親子関係で悩んでいる方
*既婚者を好きになった方
特に、不倫関係が長く続いているけれど一向に様子が変わらない、という方...
終末からの視点という「逆側」から自分の人生を振り返って見ることができる、良い機会になるかもしれません。
あなたが「死に水を取りたい」と思っていても、取らせてもらえそうでしょうか?
もしくは、相手も本心からあなたの死に水を取ると決意しているでしょうか?
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何十年まっていても
N子さんのご主人様は稼ぎがうんとありました。だから、愛人さんの懐も潤ったでしょうから、まぁまだ良かったのかもしれません。
私は人の話を聞く機会が本当に多いのですが、不倫関係を長く続けている一般の人の話にも遭遇します。
一般人。例えばサラリーマン男性の愛人をしている女性です。少ないおこずかいでも愛人を確保できるのは、その男が優しさを演じるのが上手いからです。
お金は介在しておらず、女性はずっとフルタイムで働いて自分で自分をサポートし続けています。
なんという都合の良い関係か...と、はたから見ているとそう思ってしまうのです。
若い頃ならまだ「そんな経験もあったね」ということですむかもしれません。
でも女性たちは「彼が離婚すると言ってるから待ってる」と呪文のように自分に言い聞かせながら、30代40代を駆け抜けていくのです。
そして、とうとう50代に突入してしまうのです。
50代になったら、本妻もそれなりのお年になります。そんな年老いた本妻を見捨てる男はそうそういません。子供達だって見ているのですから。
愛してるとか愛してないとか誰が好きとか、関係なく、責任感とかそんなようなものです。
「奥さんと別れてくれる。きっと私と一緒になってくれる。」これは、ほとんどありません。(これが叶うケースでは、男サイドが早めに行動に移すことがほとんどです)
30代40代の大切な時間をむしり取られ、50代になって「思ってたのと違う...」となっても、数十年間を取り返すことはできません。
彼には、死に水を取ってくれる覚悟があるでしょうか?
責任とやさしさ
孫には責任がないぶん、猫っ可愛がりしてしまうお爺ちゃんお婆ちゃん。
自分の子供なら虫歯になるから5歳までチョコを禁止したりするけれど、お爺ちゃんは可愛いい孫の笑顔が見たくてついチョコをあげてしまう。
「愛人」にも、少し似たところがあるのではないでしょうか。
責任は取ってやれない。だから、「今」を楽しむ。「今」だけ優しくする。
これが責任を伴わない優しさです。
将来の責任がないから、「今」を楽しむためにスィートな軽口をすんなり囁けてしまうのです。
心の奥の奥を見ないようにしていれば、「すごーく優しい」と感じられてしまいます。「こんな優しい人にはもう巡り会えない」と思えてしまうのです。
でもこれは、幻想の優しさにすぎません。
ズバッと切られる気がするけれど
この先を『気持ちいい心』で過ごすためにズバッといきませんか!?
不倫関係の方もそうでない方も、相手の「死に水を取る」かどうか?『心』に聞いてみてください。
意外な自分の本心に出会えるかもしれません。
もしかしたら、この先ずっとこのままなんだろうなと思っていた相手に対する、自分の本当の思いが明らかになるかもしれません。
ズバッと身を切られるような衝撃が走るかもしれないけれど、生命時間は有限なのです。
幸せになるには、責任が伴います。
自分しか自分を幸せにすることができないからです。
<必要な誰かに届きますように....>